フレンチブルドッグの歴史 



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フレンチブルドッグの歴史を語る上で、イギリス、フランス、アメリカの3つの国が非常に大事な役割を担ってきました。我々が知る現代のフレンチブルドッグの基礎となるブルドッグを作り上げたのがイギリスです。小柄なブルドッグを「フレンチタイプ」のユニークな特徴を持ったブルドッグへと改良したのが、フランスのブリーダーです。フレンチブルドッグにとって、なくてはならない大切な特徴である「コウモリ耳」をフレンチブルドッグの標準であると規定したのが、アメリカのブリーダーです。

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フレンチブルドッグの祖先は、現代のブルドッグではなくて、150〜200年前に存在していた強く強健で、牛追いに用いられていたブルドッグだったそうです。当時のイギリスでは、より大きくて、重量のたっぷりあるブルドッグが繁殖されていました。ブルテリアという種類の犬も、この頃にテリアとの掛け合わせから誕生したそうです。小さくて軽いトイブルドッグも生み出されました(立った耳や、折れた耳の種類がいた)。

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産業革命を機にフランス北部へと移住したイギリスの人々は、小柄なブルドッグも一緒に連れて行きました。 その小型ブルドッグがノルマンディからパリまでの一帯で、大人気となったのです。結果、たくさんのブルドッグがフランスへと輸出される事となりました。肉屋、カフェオーナー、服屋といったパリの一般階級の人々の間で好評だったそうです。現地の人々がこの小さくて愛らしい犬の存在を知るやいなや、たちまち大人気の犬となりました。イギリス人は、このフランスのブルドッグにはまったく興味を抱かず、19世紀の後半に至までの間、この犬種を大切に育てて来たのはフランス人と言えるでしょう。コンパクトな体に真っすぐな脚といった独特な特徴を持った犬種へとどんどん改良され、イギリスのブルドッグに見られる強力な下顎は失われていきました。真っすぐな耳を持つものもいれば、先の折れ曲がった耳を持つものもいたそうです。

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フランスを旅していた裕福なアメリカ人が、そこにいる小さくて愛らしいブルドッグを大変気に入り、どんどんアメリカへと連れ帰り始めました。アメリカ人が好んだのは、耳がピンと立ったブルドッグだったのに対し、フランス人が好んだのは、どちらかというとイギリス人と同様、先が折れた耳を好みました。

 

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1896年、ウェストミンスターのドッグショーにおいて、社交家の女性達が初めてフレンチブルドッグをエントリーしました。1897年のウェストミンスターカタログでは、特集として表紙を飾っていますが、フレンチブルドッグは当時まだ、アメリカケンネルクラブの公式犬種として認められていませんでした。ショーにエントリーされたのは「コウモリ耳」と「折れ耳(先っぽが折れた耳)」の両種。 しかしイギリス人審査員が評価したのは、折れ耳の個体のみでした。この結果に怒り心頭のアメリカ人愛犬家達は、すぐさまフレンチブルドッグ クラブ オブ アメリカを設立し、「コウモリ耳」のみをよしとする、あらたなフレンチブルドッグ評価基準を定めました。1898年にウェストミンスターで開かれたショーでは、「コウモリ耳の部」と「折れ耳の部」の両部門が設けられました。しかし、これがアメリカ人達の怒りを買う事になったのです。「コウモリ耳」のみをフレンチブルドッグのスタンダードとする新基準を設けていたからです。アメリカ人審査員達はショーへの参加を拒否し、コウモリ耳のフレンチブルドッグのみを対象とする彼ら独自のショーを、豪華なウォルドーフ=アストリアで開催しました。これがフレンチブルドッグ クラブ オブ アメリカでの最初の有名な催事となりました。また彼らのこのクラブが、世界で1番初めに誕生したフレンチブルドッグのためのクラブ(組織)でもあります。第一回目のチャンピオンは「Dimboolaa」という名前のブリンドル種だったそうです。

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フレンチブルドッグは、東海岸一帯でたちまち爆発的人気となりました。しかし、人気の方はというと、第一次世界大戦以降50年間で徐々に下降傾向を辿ります。別の小型で短頭の犬種ボストンテリアの人気急上昇が、その理由の1つです。また自然出産が出来ない特徴もその理由でしょう。安全な帝王切開による出産が普及するのは、まだまだ先の事だったのです。 また、エアコンが一般化されるまでの時代では、暑い季節がフレンチブルドッグにとって非常につらいのです。1930年代の不景気中、純血犬種全般の人気も徐々に低下しました。アメリカやヨーロッパにいる少数のフレンチブルドッグブリーダーはその情熱を絶やさずにいましたが、1940年までにはアメリカ ケンネル クラブにおける登録数が、若干100匹のみにまで減少し、希少犬種と考えられる様になりました。第二次世界大戦中は、ブリーダー(特にヨーロッパの)にとって、非常に辛く大変な時期でした。元気な犬も餓死し、食料確保が困難な中、犬達を死なせるほかない状態にまで陥っていたのです。従来フレンチブルドッグといえばブリンドルかパイドが主で、1950年代にデトロイトのブリーダー、アマンダウェストがクリーム色のフレンチブルドッグを一躍人気者にするまでは、フォーンやクリームに対する人気もそれほどではありませんでした。彼女が育てた犬達(ほとんどクリーム)は、様々な大会において通算500回を超えるグループ優勝、111回のベスト・イン・ショー・アワードを獲得し、ウェストミンスターのショーにおいても同犬種部門で21連勝を誇りました。それ以来、クリームとフォーンは品評会において更に常連となってきました。現在、フレンチブルドッグが宣伝広告、映画、そしてセレブ情報誌に登場する事が珍しい事ではありません。しかしこの過度の爆発的人気によって、種固有の特徴の維持が困難になったり、最小化に勤めていた健康問題に影響するという問題もあります。

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